思い

 

カウントダウン

タイでは1月1日の新年は特に主だった行事がなく、4月の「ソンクラン」と呼ばれるタイ正月が本当の正月だ。そのため年末の買い物で慌しいということもない。ホスピスでは西洋人ボランティアたちがクリスマスを母国で過ごすために帰国して寺全体がひっそりとしていた。

 

私も年末は友人とバンコックで過ごすことにしていた。大晦日のバンコック、正月をあまり盛大に祝わないとはいえ、1月1日は祝日ということもあり凄い人出だ。雑踏をかき分けるようにして街を歩き回る。食事をするのも一苦労だ。入った中華料理の店は家族連れとおぼしき人々がテーブルを埋め、店の内外で順番待ちの人が溢れている。バンコックの大晦日のハイライトはワールドトレードセンターでのカウントダウン。私たちはその近くのホテルでお茶でも飲もうと向かったが、カウントダウンを終えて帰る人波に押し返されて前へ進めない。

 

そんな雑踏に身を置きながら私はある思いに捕われていた。「Happy New Year!」と口々に挨拶を交わす人々。一見明日を信じて疑わないように見えるこの人々とホスピスの患者との違い。ホスピスでは今頃はまたあの「死の淵の静寂」が訪れているだろう。

 

彼ら感染者はただ単にHIVと呼ばれる菌が身体に入っただけで、あの状況に身を置いているのだ。HIVはセックスや血液が主な感染源だから感染の危険性は誰にでもある。誰かを愛した、あるいは一時の浮気心や経済的必要に迫られて性的関係を持った。注射の回し打ちでの感染は、薬物使用の行為そのものは責められてしかるべきかもしれないが、HIV感染は偶発的なことだ。

 

母子感染、輸血による感染。みなHIVという病原菌の被害者なのだ。普通の夫婦関係を持っていた妻や夫がパートナーの浮気が原因で感染した。誰が彼らを責められるだろう。でも現実として女性感染者の大半がこのような妻たちなのだ。しかし、その菌が身体に巣くった瞬間から彼らは社会の除け者になる。この世の中には数え切れないぐらいの病因がある。しかし現実にはHIV感染者ほど世間から迫害を受けている病人はあまりいないだろう。一般の病気であれば同情されたり、助けの手が差し伸べられたりするのが普通なのに、HIVAIDSの場合は忌み嫌われる場合が多い。病の苦しみと家族や世間の冷たい目。これほど本人にとって理不尽な病はないと思う。

 

そんな「迫害、蔑視」も無知を原因としていることが多い。正しいHIVの知識さえ身につければ愚かな勘違いから人を傷つけることもなくなり、自分もHIVから身を守るための知識もつく。憎むべきはHIV菌であって、感染者そのものではない。感染者自身は私たちと同じように普通の生活をしていて、この忌まわしい菌に襲われた人々なのだから。

 

 

 

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